こんばんは。shunです。
普段の生活を送っていると、ふとした瞬間に「やっぱり自分はベーシストだな」と感じることがあります。楽器を持ってステージに立っているときはもちろんですが、むしろ日常のなかにこそ、ベースと共に歩んできた自分らしさが自然ににじみ出る瞬間があるものです。今回はそんな「ベーシストである自分を実感する瞬間」を、いくつかの切り口から掘り下げてみたいと思います。
電車の走行音がグルーヴに聴こえるとき
ベーシストにとって「リズムを感じること」は呼吸のように自然な行為です。たとえば電車に揺られているとき、レールの継ぎ目を通過する音や、モーターの低音が「ドゥン、ドゥン」と鳴っていると、それがまるでベースラインのように聴こえてしまう。気がつけばそのリズムに合わせて足で拍を刻んでいたり、頭の中で勝手にベースフレーズを組み立てていたりする。周りの人から見ればただの乗客ですが、心の中では完全にセッション状態です。
ドアの開閉音や生活音にベースの役割を見出すとき
生活のなかのあらゆる音が、無意識に「低音パート」として分類されてしまうこともあります。冷蔵庫のモーター音や洗濯機の回転音が「ベースのうなり」に聴こえる。ドアを閉めたときの「ドン」という響きが、まるでキックと一緒に鳴っているように感じられる。音楽をやっていない人にはただの騒音ですが、ベーシストにとっては立派なリズムセクションの一部です。
音楽を聴くとベースラインにしか耳がいかないとき
友人とカフェで流れているBGMを聴いていても、会話そっちのけで耳が追っているのは「ベースがどんな動きをしているか」。一般の人はボーカルやメロディに意識が行くのに、ベーシストは無意識に低音の動きを分析してしまいます。「あ、このベース、ルートだけじゃなくて3度に動いてるな」「この曲、裏拍でベースがノってるな」なんて考えながら首を縦に振ってしまう。結果的に友人から「ちゃんと話聞いてる?」と突っ込まれるのも日常茶飯事です。
スーパーで流れるBGMに合わせて歩幅を取ってしまうとき
スーパーやコンビニの店内音楽に、なぜか足取りが合ってしまう。特にベースラインがしっかり聴こえる曲だと、自分の歩幅を無意識にそのリズムにシンクロさせてしまうのです。まるで自分がベースを弾いてリズムを支えているような感覚になる。誰に見せるでもない小さなグルーヴですが、その瞬間に「ああ、自分はやっぱりベーシストなんだな」と心の奥で思います。
座る姿勢やカバンの持ち方でベースを意識してしまうとき
長時間ベースを抱えてきたせいか、カバンを持つときや腕を組むときも、なぜか「ネックを支える手の形」や「指板を押さえる指の角度」がしみついていることがあります。右手でテーブルを叩くときも、ついスラップのサムピングのようになってしまう。日常動作に「ベースを弾く身体感覚」が溶け込んでいるのは、長年培ったクセであり、同時にベーシストである証拠です。
低音の響きに敏感になってしまうとき
ライブハウスだけでなく、映画館やクラブ、さらには車のエンジン音や雷の低音に触れたとき、体の奥が自然に反応してしまう。低音はベーシストにとって「ただの音」ではなく「居場所」そのものです。低音が心地よく響く空間にいると落ち着くし、逆に低音がスカスカだとなんだか不安になる。これはもう、日常生活そのものが「ベーシストの耳」によって彩られているといってもいいでしょう。
会話のテンポや間合いをリズムで捉えてしまうとき
人と会話しているときも、相手の話し方や間の取り方を「リズム」として感じてしまうことがあります。「この人の喋り方は8ビートっぽいな」「この間の取り方は3拍子に近い」などと頭の中でリズムに変換してしまう。まるで会話がジャムセッションのように聴こえる瞬間もあって、コミュニケーションの中に音楽を見出すのはベーシストならではの習性かもしれません。
楽器屋に行くと必ずベースコーナーに直行してしまうとき
友人に誘われて楽器屋へ行っても、自然と足が向かうのはやっぱりベースコーナー。新品でも中古でも、並んでいるベースを見ていると「このネックは握りやすそうだな」「このピックアップの位置だとどんな音が出るんだろう」と考えてしまう。ギターやドラムを眺めるよりも、やっぱり自分にとっての主役はベース。そんなときも「自分はやっぱりベーシストだな」と実感します。
まとめ
日常生活のなかには、ベースを直接弾いていなくても「ベーシストとしての感覚」が染み込んでいる瞬間がたくさんあります。電車の走行音や生活音をベースラインに感じること。無意識に低音を追いかけてしまう耳。歩幅や仕草の中に表れるリズム感。すべてが自分という存在を形づくっている。
こうして振り返ると、ベースという楽器はただの音楽道具ではなく、生活や感覚そのものを変えてしまうほどの影響を与えているのだと改めて感じます。そしてその積み重ねが、自分を「ベーシスト」として日常に生かしてくれているのだと思います。
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